五万人越えてて怖い
みなさん、こんにちはSnowManを担降りした人です。
このコロナ騒動のなかで、大学が大きく変わっていてついてくのに必死な人です。
タイトルの通り五万人の方々がこのブログを読んでくださっているようです。ありがとうございます???
このブログは、担降りした人間が感情をぶつける場所としてまた担降りする人にたいして私はこういう理由で降りますよ!という報告のつもりで書きはじめたものでした。
五万人を越えてて、悔しくて泣きそうです。
何でだと思いますか?
理由は簡単です。このブログにたどり着くにはSnowMan担降りと調べないとたどり着けないからです。
言い換えれば五万人のひとがその単語を調べたということです。
悔しくてたまらない。
彼らについてくる言葉が担降りだなんてしんじたくない。
悔しくて悔しくてたまらない。
この現実に気がついた時、昨年のカレンダーを開けたとき以来の感情が甦ってきた。あぁまだこんな感情が残っていたのかとおもった。
でも、映像見ても何にも感じなくて、少し笑ってしまった。
今、別の世界で私は生きています。
幸せです。
でもたまに、SnowManの話をふられるとそんな人たちも好きだったな、と思うのです。
どうか、みんなが幸せでありますように。
叫び
こんにちは、Snow Man担降りした人です。
でも、今回のブログの内容は全くジャニーズとも7ORDERとも関係がありません。
今回のブログは、私のオタ友であり病気の仲間でもあった一人の友人がこの世を去ったことによって書かれています。正直今も受け入れることが出来ない中で書いています。
彼女はとても明るい人で私もとてもよく笑う人間だけれどもそれ以上によく笑う人でした。今、何を書いたらいいのか全く分かっていない。でも、どうしても書くことでしかこのことが消化できないのです。
彼女のことを書く、このことに何の意味があるのかわからない。でも、彼女は優しいけれど大胆不敵なところがある人だったから喜んでいるのではないかなとも思っています。
今回の一番書きたいことは、彼女と最期に話したことを私なりに考えた答えである。私と彼女の最期は、いつもと同じくだらないことを話し合って終わった。
それは、「フツーって何だろうね」という内容の会話だった。
私も彼女も体に疾患を抱えて生きてきていた。でも、私たちは生まれた時からこの世界を生きているのだからフツーってものを知らない。でも、そんな当たり前のことをいまさら彼女と話すことなんてなかったのになぜかあの日はこの話題で盛り上がった。今考えるとちょうどとある事件の公判中だったからかもしれない。
彼女の疾患についてここに記すのはフェアではない気がするので、ここから先の文章は、私が疾患を抱えながらもフツーってなんだろねと思いながら書く文である。どうか、乱文であることを許してほしい。
私の体にある疾患のうち、フツーに生きることを難しくしているのは何のか考えてみた、一番は日光アレルギーと気管支疾患であろうと考えた。私は、一年中長袖長ズボンで生活しているわけではない。日光アレルギーとはいえ今の世の中では日光を遮断してくれるいくつかの発明によってタイツをはけばスカートも履けるし、カーディガン着れば中に半袖を着ることだってできる。しかし、眼鏡をかけなくては外に出ることはできないし長時間外で日光を浴びると発熱を伴なう体調不良に悩まされることもある。そして、気管支疾患については、簡単に言えば走ることもままならないからだであると言えば伝わりやすいだろうか、長時間歩くこともできないので学校の遠足というのは、私にとっての憧れのイベントである。とまぁ、その他いろいろと疾患を抱えているが、この二つがフツーに擬態して生きていくのに割と支障のあるところである。食物アレルギーや動物アレルギーは避けて通って生きていくことにしているのでまぁ平気であると考えています。
この疾患だらけの体に生まれた私はフツーではないのかという話について、私はフツーってなんだかわからんから答えようがないといってごまかしてしまった。そのことが今、ものすごく恥ずかしいだからここで私なりのこたえを書こうと思う。
私の目は、フツーに見えたことがない。私の耳は、フツーに聞こえたことはきっとない、私の体がフツーに活動していたことはない。でも、私は私の中の普通で生きている。それは、世の中のマジョリティではないかもしれないけれど、私の中ではマジョリティとして生きてる。私は普通に生きている。
これが、私なりの答えだ。
彼女の答えとは実は違う。でも、彼女とこのことについて話すことはもう二度ととできないだからこそ、他の誰でもいいから誰かに答えを伝えたいと思ってしまったのです。
以上が今回のブログでした。
それでは、失礼します。
四万人突破してた
こんにちは、Snow Man担降りした人です。アクセスなんちゃらみたら、このブログ四万人の方が見てくれていたららしいです。ありがとうございます??
実をいいますと。コンサートのチケット当てたけど、入金しないので拗ねてブログかいてます。あぁ、入金しない理由はコロナさんです。
コロナご存知ですよね!あの病気は持病もちには危ないんですよね!
/(^o^)\
チケット流します。
コンサート会場どころか、ほとんどお外行けてません。行きたいです。
コロナが流行ってなかったら、最期のコンサートにするつもりだったんですよ。
姉と二人でいく予定だったんですよ!!!!
とまぁ、個人的な悲しいニュースは置いといて。
Mis Snow ManをSnow Manの偽物というということがあったようですね。フツーに吹きました。ごめんなさい、待って、待って、え?ってなりました。
こわ、若いってこわって思いました。いやぁ、そりゃ最近の子なら真田佑馬くんは辞めジュだから、知らねぇかもしれんと思ったのですが……
軽くひいたよね!
いやぁ、別に古参かどうかなんてどうでもいいと思ってるタイプのオタクだったんですよね、元々姉がジャニオタ母もジャニオタというある種特殊な環境で育ったのでコンサートの初参戦は園児でしたし、物心ついたときにはジャニオタでしたし。この中でたくさんのジャニオタさんと、仲良くさせていただいたなかそこまで歴はかんけいのないのでは?と考えてきました。
私は、基本的には古参と呼ばれる分類でしょう。しかし、それでよかったことは特にありません。強いて言えば、コンサートにいって、その場でしか聞けないネタを聞ける確率があがる位しか思い付いてないです。
あと少し気になることがあって、私ビビりなので名義一個しか持ってないんですよね。一応それでどうにかやってこれてました。しかし、皆さん当たり前のように多名義なのは何事ですか?本当に、それでいいんですか?昔、隣の席の方が名義が違うことで何かしらのペナルティを受けているのを見たことがあります。なんなら、そこの席埋まらずに舞台はスタートしてしまいました。悔しかったです。なので、名義一個でいきましょうよ大丈夫ですよ当たりますよ。多名義が減ると分母が減るから倍率下がりますよ。と伝えておきますね。
それでは、さようなら。
生きててよかった!
こんばんは、Snow Manを担降りした人です。
生きててよかった!というブログでスタートしましたが実は今日7orderでいくつかの発表がありました。それは、これからもみんなが一緒に頑張っていくことが決まったということ、そして彼らのCDが出るということ。嬉しすぎてスマホ落としました。
私が、何よりも嬉しいのがCDが出ることなのです。かれらの前世の音源はほとんど少年倶楽部さんでのもので、決していい音とはいえないものが多いのですが、なんということでしょう。CDというとてもよい音源がてにはいるのです。テンションおかしくなります。
これからもみんなが笑ってられるように私も頑張っていこうと決められましたありがとう。
やっぱりさなやすが好き
こんばんは
SnowManを担降りしたひとです。
いや本当にこのタイトルのの通りのお話をしていきたいと思っています。
え?なんのこと? 興味ないな・・という方はどうかスルーしてください。
(これは、このブログを書き始めた頃に書いた下書きが、もったいないなと思って上げるものなので。何かしら現在と齟齬があるかもしれませんご了承ください。)
いいですね!
前にもお伝えしたことがあるかと思いますが、私の一番の担当だったのは安井謙太郎さんです。彼の生き様は体が弱いという事で行動に制限をかけられながら生きていた私には輝いて見えていました。
そして、体が弱くてもそれが私の全てではないという事を気づかせてくれた人でもありました。
では、なぜ私が安井謙太郎さんだけではなく真田佑馬さんとのコンビ通称さなやすについて書こうとしているのかと言えば、好きだからです。そう単純に好きだからです。
さなやすは「ジャニオタならみんな大好きシンメ」ではありません。おそらく安井君のシンメは萩谷君で多分はぎやすの方が有名だとおもいます。
しかし、さなやすはズルいなにがって年齢と入所歴によってぐちゃぐちゃな先輩後輩関係ってやつです。
あと、外見年齢もで一役買ってる気がしますね。
そんな二人のふとしたときの背中合わせが大好きなんですよ、多分シンメじゃだせないんです。二人は入所歴だけみれば圧倒的に真田くんの方が先輩でも、人間的なリーダーシップは安井くんの方があるしなんなら年齢も上です!!!
結果として二人は得意な分野を相手に任せて残りのところは俺がやるから!みたいな空気なんですよね、恐らく二人とも責任感のある人たちで真田くんは職人気質なのがよくわかります。しかし、世の中職人気質だけでは苦労するのです。そこは、安井くんのコミュニケーション能力の高さが活躍します。
この二人がきっと皆の支えになり得ていたのだろうと、思っています。そして、私の支えでもあります。
二人の関係を、詳しくつたえる言語能力が壊滅的のないので、一言でまとめると父母です。夫婦ではありません。パパとママでもありません。父母です。それも昭和の。
なにいってるのかわからなくなったところでお別れしときます。